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体罰について考える~法的リスクと説明責任~

2014年4月執筆

私学マネジメント協会 FORWARD NO.26,27掲載

「体罰について考える~法的リスクと説明責任~」

弁護士森崎秀昭氏に聞く

インタビュア:石川慶子(広報コンサルタント)

2013年は、スポーツ指導における体罰の在り方が注目された。2012年12月、大阪市立桜宮高校バスケット部の高校2年生が顧問からの体罰を苦に自殺をしたことが大きく報道されたからであろう。2013年1月23日、文部科学省による全国調査が始まり、体罰の実態調査結果では、学校名も公表された。公立においては体罰があれば、公表するのは当然の流れとなってきたといえる。私学はこの流れにどう向き合ったらよいのだろうか。今回は、ご自身もバスケット部所属の経験があり、現在もスポーツ関連の仕事をなさっている弁護士の森崎秀昭氏にお話しを伺いながら、体罰問題が私学の経営者に与えるリスクを法的観点と説明責任から考えたい。

 

体罰の意味を正しく理解する

 

生徒の年齢や身体の発達状況によって懲戒の程度を考えるべき

 

石川:昨年は体罰について考える機会が多くありました。いろいろな方と議論をする中で思ったことは、人によって体罰の捉え方が異なるということです。そこで、最初に法的定義について解説をお願いしたいと思います。

 

森崎弁護士:学校教育基本法第11条で体罰の定義がなされています。「校長および教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒および学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない」。つまり、懲戒は許されるが、体罰は許されない、となります。懲戒と体罰のせめぎ合いかもしれません。体罰に当たるかどうかは、児童生徒の年齢、健康、身体の発達状況、場所や時間等総合的に考え判断すべきとされています。

 

石川:殴る、蹴るといった身体的接触があるのが体罰と考えていいのでしょうか。

 

森崎弁護士:そうです。懲戒の内容が身体的性質のもの、つまり、殴る、蹴る、といった身体に対する侵害を内容とする懲戒、正座や直立など特定の姿勢を長時間にわたって保持させるといった肉体的苦痛を与えるような懲戒は体罰になります。もっとも、全ての物理的懲戒が体罰に当たる訳ではない、と文部科学省の「学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に対する考え方」には記載されています。

 

石川:「全ての物理的懲戒が体罰に当たる訳ではない」というのは個別に判断するということですか。体罰と懲戒の違いについてもう少しご説明をお願いします。

 

森崎弁護士:「体罰とは、行き過ぎた懲戒のこと」になります。学校教育基本法には、具体例も示されています。放課後に教室に残留させることは体罰には当たりませんが、用便のために室外に出ることを許さない、または、食事時間を過ぎても長く留め置くなどの肉体的苦痛を与えた場合には体罰になります。このほか、教室内に起立させる、学校当番を多く割り当てる、立ち歩きの多い生徒を叱って席に着かせる、といったことは体罰には当たりません。

 

石川:では、スポーツ指導における懲戒と体罰について何か事例はありますか。

 

森崎弁護士:高校の体育教諭が授業で、懲戒を目的として女子生徒に3メートルの高さで懸垂運動を課したところ、その生徒が降りる際に転倒し、加療10日間の頸椎捻挫を負いました。この事件では、「懲戒行為であると体育の指導であるとを問わず、教師が生徒に一定の行為を命ずるにあたっては、生徒の安全に十分配慮する義務がある」との判決が下り、過失傷害罪とされました。

 

石川:その生徒の体力を見極めずに、これくらいは大丈夫だろう、といった一方的な教師の思い込みがあるように感じます。懲戒を目的とした場合、児童、生徒の体力に応じた内容にするべきということでしょう。では、大阪の桜宮高校の体罰についてですが、あれは体罰として報じられていますが、「行き過ぎた懲戒」になるのでしょうか。

 

森崎弁護士:バスケットボール部主将に問題行動はありませんでしたので、教育上懲戒の必要性はなかったといえます。したがって、「懲戒」という限度を超え、ただの「いじめ」や「見せしめ」といった部類のものであったといえるでしょう。

 

石川:なるほど、体罰にもならない、もっと次元の低い行動であったということですね。体罰に話を戻します。肉体的苦痛の伴う怪我をさせたらそれは体罰になるといえますか。

 

森崎弁護士:それは状況によります。いじめを止めようとした際に転ばせて怪我をさせてしまった場合は体罰とはいえないでしょう。

 

石川:ネット動画ではさまざまな体罰シーンが掲載され、いろいろなコメントがついています。生徒に何度も往復ビンタをしているシーンを隠し撮りした動画では、これは体罰だ、といったコメント。金八先生ドラマもあり、自殺しようとする生徒を目覚めさせるためにピシッと一回平手打ちをするシーンでは、今ならこれも体罰?、といったコメント。当然、前者は体罰であり、後者は体罰ではないといえますが、行為としては同じ平手打ち。もちろん、回数も状況も目的も異なります。状況によって総合的判断、というのはこうゆうことなのでしょう。理解が進みました。

 

体罰は法的には傷害罪、暴行罪になる

 

石川:森崎さんはバスケットボール部だったそうですね。森崎さんご自身は体罰を受けたことはありますか?

 

森崎弁護士:高校の部活ではありませんでした。顧問がやらない、と決めていたから。ただ、部活以外ではありました。先生から平手や頭にこぶしをごりごりされることは、よくありました。寝ているところを蹴られたこともありますが、そうされる理由はあったので自分の中では、されても仕方ないと納得していました。身体が大きくメンタルができていたので、受け止めることができていたともいえます。また、限度を超えるかどうかもポイントになるでしょう。平手で一発と往復ビンタ、あるいは、平手のピシリとこぶしで殴る行為とでは、意味が違ってきますから。

 

石川:生徒が意味を理解しているかどうか、で大きく分かれるということでしょうか。生徒側の身体や精神の成長度合い、教師との信頼関係にもよります。お話を伺っていると、保護者から体罰ではないか、と学校に訴えがあった場合には、どのような状況の中で、どう行われたのかを確認する、場合によっては再現することで状況を把握することがポイントだと感じます。私がみたところ、この学校による調査が甘すぎるように感じます。体罰を大したことがない、と思っているのでしょうか。ここがきちんとできないために、説明できず、結果として保護者が納得せず、提訴されてしまうのではないかと思います。

 

森崎弁護士:言葉がもたらすイメージもあるかもしれません。法的用語に言いかえるとより実感が湧きます。万引きと言うと軽く感じますが刑法上は窃盗罪です。それと同様に体罰については、刑法上は、傷害罪、暴行罪、業務上過失傷害等になりますので、罰金の伴った罪であると認識する必要があると思います。民事になれば、民事上の責任において、体罰は、不法行為として被害者に対して損害賠償責任を負いうるということになります。不法行為とは、「わざと、または間違って生徒や選手に怪我を負わせるなど生徒や選手の安全に十分に配慮する義務があり、それに違反すること」になります。

 

石川:おっしゃる通りです。体罰を想定した模擬記者会見を実施すると、記者達は「どこを何回殴ったのか、平手なのかこぶしなのか」と詳しく聞いた後、「それは体罰ではなく、単なる暴力じゃないか、そんな暴力教師を放置していたのか」と詰め寄ると、学校側は「暴力」という言葉でハッとするのです。教育現場で使われる言葉が、社会的視点を曇らせてしまっているのかもしれません。

東京都教育委員会は、昨年9月具体例を明示したガイドラインを策定し、今年1月には広報紙での告知、映像資料DVDの学校配布も始まりました。明確にすることは予防への第一歩になるでしょう。次回後半は、起きてしまった後の対応について考えます。

 

体罰について考える~法的リスクと説明責任~(後半

 

前回は、森崎秀昭弁護士から、体罰について「学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に対する考え方」の解説を中心にお話しを伺った。「体罰は、行き過ぎた懲戒」のことで、刑法では、傷害罪や暴行罪になり、民事上は「安全配慮義務違反」という不法行為になり、賠償責任が伴うことが明らかになった。今回は、体罰のない指導のあり方、それでも問題が発生してしまった際に、経営者としてどう対応するべきかを考えたい。

 

迷った時には建学理念に立ち戻る

 

スポーツ指導も専門教育が必要

 

石川: 森崎先生は、体罰について学校の先生方に講義をする機会があると思いますが、その時の先生方の反応はいかがでしょうか。しっかり浸透していくような感じはありますか。

 

森崎弁護士:年齢で受けとめ方が異なります。30-40代は、真剣に聞きますし、そうだ、と頷きます。一方、年配者は、受け入れがたい様子が見られます。厳しく接するのは正しいと思いこんでいる可能性はあります。体罰を受けて強くなったんだ、という自分達の経験が沁みついているからでしょう。しかし、今は育てられ方が昔と違います。指導を受ける子どもや保護者、社会の見方も変化してきています。学校という閉じた空間だけで長年居てしまうと、俯瞰できる視点が養われない可能性があると思います。

 

石川:社会の流れや変化を察知しにくいということでしょうね。私は社会への説明責任を専門としていますが、年々ハードルは高くなってきています。例えば、昔は自殺の原因は不明、といった説明でも通っていましたが、今は通りません。体罰も、スポーツ指導では多少はあるだろう、では通らなくなっているのだと思います。スポーツのプロではない先生が、コーチをしているがゆえに自分の経験則に頼ってしまい、最新の指導技術を提供できていないのだろうと思います。バスケットボール協会評議員としての森崎さんにあらためて伺います。強いチームを作るために、本当に体罰は必要なのでしょうか。スポーツでは、ITを駆使した科学的訓練がなされてきていると報道されていますが。

 

森崎弁護士:世界レベル、例えばオリンピックは進んでいますが、全体としてスポーツ業界は世の中の流れから遅れていると言えるでしょう。競技の中では、サッカーが一番進んでいると思います。日本サッカー協会では、年齢別に指導者ライセンスを出しています。キッズリーダーは、10歳以下の選手・子ども達を指導できる資格、公認C,D級コーチは、12歳以下の選手・子ども達を指導でき、公認S級コーチはプロチームを指導できる資格です。バスケット協会もこれを参考に指導者養成プログラムを進めています。一方、なかなか近代化が進まない競技もあります。柔道連盟の方と話をする機会がありましたが、彼らは、「柔道はスポーツではない。柔道は神の道である。道だから口を出すな」といった考え方でした。相撲は、日本古来の神事だからスポーツではない、といった考え方もあります。

 

石川: 具体的にいうと、バスケットボール協会で進めている指導者養成とはどのようなものでしょうか。

 

森崎弁護士:人を導くというのは、本人に考えさせるということだと思います。「シュートを決めたいか、よし、じゃあシュートを決めるためにはどうしたらいいと思うか、今は何本練習しているか、今の本数でいいと思うか、もっと決めるのはどうしたらいいと思うか、じゃあ本数を増やそう、何本増やしたらいいか、じゃあやってみよう」。この会話は1分だけですが、体罰よりもずっと前向きになれます。

 

石川:元マラソン選手の瀬古利彦氏は指導者としての心がけについて4つ述べています。1.信頼関係を築く、2、情熱をもって根気強く信念を伝える、3、科学的根拠に基づいて指導を行う、4、専門的な指導力。1と2は教員でも可能ですが、3と4はそのスポーツ専門の知識がないと難しいといえます。そうなると、まずは部活を学校の中でどう位置付けるのか、を明確にする必要があります。また、教員の負担軽減のために、さまざまな協会から指導者を派遣してもらう形もあってもよいと思います。

 

森崎弁護士:瀬古さんの指導方法はその通り。一番は信頼関係。具体的にどうやって築けるのか、ここが大切だろうと思う。この通りやれればどんどん成果が出るだろうと思う。最高レベルに達した人にしかわからない世界がありますし、そうした人達は後輩に伝えたいといった気持ちが強いです。学校は、各スポーツの協会に指導者派遣を相談したらいいと思います。外部コーチが部活動を指導し、顧問に報告をする、といった連携も可能ではないでしょうか。先生方も練習メニューを考えるという負担は確実に減りますし、学校の先生が接触する人が外部に広がることにもなります。私学は、公立よりもそういった取り組みはやりやりいのでしょうか。スポーツの部活は、成果を出すために行き過ぎた指導が起きてしまうリスクはありますが、スポーツに力を入れることで人気が出ると思います。

 

石川:私もそれは同感で、一度娘の通う中学校に外部コーチ活用を提案したことがありますが、コーチが顧問教師を見下してしまう事態になってしまったとのことでした。地域の方や保護者にコーチを個人的にお願いするからだと思います。スポーツ協会からの派遣であれば、担当者を替えてもらうことができますから、リスクマネジメントの観点からも合理的ですね。スポーツ協会と連携したい時にはどうしたらいいのでしょうか。敷居が高く感じられますが。

 

森崎弁護士:スポーツ協会を大きくイメージするかもしれませんが、それほど大所帯ではなくこじんまりしたところが多いので、気軽に相談してほしい。特に協会で指導者ライセンスを出している場合、質は担保できるといえます。

 

ターンアラウンド手法で組織改革を成功させる

 

石川:体罰のない学校経営を目指していても、起きてしまうことはあると思います。その際に私学経営者はどう行動したらいいと思いますか。私はまずは事実関係の調査が重要だと思いますが、学校経営者に限らず、企業も含めて調査が杜撰であると感じます。調査メンバーや体制は、記者からはお決まりの質問となっていますが、内部調査だけで済むと思っている経営者は多いです。最近は第三者を調査委員に加える形がようやく増えてきました。

 

森崎弁護士:調査能力の低さは確かに問題です。調査の手法を知らない、といったことは確かでしょう。不正調査は普通の企業でもできていません。すぐに本人に聞いてしまうがそれは違う。周辺に聞いてから、人の言葉でも具体性が大切。桜宮高校も調査の仕方が悪かった。当時者本人に聞くのは最後。最初は体罰を受けた家庭の話を聞く。生徒には皆を集めて「友達が叩かれているのを見たことある?あなたのことじゃないよ」と周囲の証言を固める作業を最初にするべきです。

 

石川:調査の結果、体罰を認めざるをえない状況になった場合、学校はどうするか。公立では、既に学校名が公表されるようになりましたが、それは学校が自主的に発表するのではなく、東京都の教育委員会が発表する形です。ところが、昨年私の娘が通っている都立高校で体罰事件について謝罪文が配布されましたので、驚きました。ようやく学校も自主的に保護者に知らせる時代になったのだと実感しました。東京都教育委員会の方針を受けてのことだとは思いますが。では、私学は何をよりどころに判断したらよいと思いますか。

 

森崎弁護士:私学の場合には、公立と違って建学理念がありますので、そこに立ち返ることではないでしょうか。例えば、立教大学はキリスト教に基づく教育を理念として掲げています。問題が発生した際には、その理念の下に判断すれば自ずと答えは見えてくるはずです。

 

石川:立ち戻る場所がわかっていても、そう判断しても、実際に行動できないことも多々あります。どうしたら判断したことを行動につなげることができるでしょうか。

 

森崎弁護士:企業のターンアラウンドという方向転換に際に使われる手法が参考になるのではないでしょうか。企業では、方向転換や改革の際には、外から人を引っ張ってきて実行する手法が使われます。「ターンアラウンド専門家を引っ張ってきたのだから、もうやるしかないじゃないか」といった状況を自ら作り出すのです。理由は、内部の力だけでは方向転換、改革はできないからです。外の力を借りる必要があるのです。学校も同じではないでしょうか。

 

 

 

 

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