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クライシスコミュニケーション事例④海外での事件

「月刊ISOマネジメント」(日刊工業新聞社)RMCAリレー連載 2009年4月~2011年4月
広報コンサルタント 石川慶子

クライシスコミュニケーション第5回目

「事例④海外での事件」

海外進出によって生き残ろうとする日本企業が目立ち始めています。企業活動がグローバルになれば、当然クライシス発生時にも国際的な視点、国境を越えた情報の流れ方を意識した広報対応をしなければなりません。

誰がスポークスパーソンになるのか

昨年から今年にかけて起きたトヨタ自動車の大規模リコール問題では、グローバル広報の難しさを実感した人が多いのではないでしょうか。トヨタの広報部は自前主義で広報部の人数も多く、守りが堅いことで知られていましたが、今回のリコール問題では後手後手になってしまいました。グローバルなクライシス・コミュニケーションの観点から今回の問題点を考えてみると、海外でのクライシス発生時にどこに対策本部を設置し、誰が判断し、誰をスポークスパーソンとして、どこから情報を出していくのか、といった基本的な方針が組み立てられていなかったのではないかと思います。これは、米国トヨタ自動車販売社長ジェームズ・レンツ氏が公聴会で「私にはリコールを判断する権限がなかった。全ての判断は日本の本社が行っていた」と証言していたこと、また、複数の記者が、「トヨタ本社、東京本社、米国本社、この3ヶ所の連携がうまく行っていないのではないか。情報が一元化されていないようだ」と語っていたからも感じ取ることができます。
クライシス・コミュニケーションの基本初動の1つは、現地での緊急対策本部設置です。そこから情報を一元化して発信していくことが被害拡大を防ぐことになります。本社がコントロールする場合であっても、本社の責任者が現場に行って陣頭指揮をとらねばなりません。今回のリコール問題も、米国でのアクセルペダルへのクレームが端緒になっていますから、日本本社が全てコントロールするのであれば、日本の本社社長が米国で記者会見を即座にするべきでした。本社社長の出番をぎりぎりまでキープしたいのであれば、米国本社にリコール判断の権限を委譲し、説明責任も果たしてもらうべきではないでしょうか。ここがグローバルで展開する場合のポイントになります。本社のコントロール機能をどこまでとするのか、現地社長の責任範囲をどこまでとするのか。これにより、クライシス発生時の情報発信責任者が明確になります。
私は現地からの情報発信に徹底的にこだわります。なぜかというと、組織が大きくなればなるほど、現地から遠くなればなるほど、現場で起きていることの重大性が伝わらなくなるからです。クライシス・コミュニケーションの考え方が、事故現場で記者達に説明することから歴史が始まっていることからもその精神を感じ取ることができます。2006年に日本で起きたシンドラーエレベーターの事故でも、本社から飛んで来て記者会見を行った社長が「日本に来て、事の重大性を見てびっくりした。初期対応が悪かった」と語っています。現場にしかない感覚、言葉で表現しつくせない空気を感じることが適切な判断を下すことにつながります。記者達が現場での雑感にこだわるのもそのためです。現場にこそ真実があるからなのです。
今回のトヨタ問題は、結果的に、全世界的なリコールになり、本社社長の豊田章男氏が、日本、米国、中国と世界中の現地で謝罪会見することになりました。この一連の行動により、一定の理解を得て、ようやく報道も収束していきました。

テロは人質事件の情報発信は慎重に

海外では、日本では滅多に起こらないテロや人質事件の発生確率は高いため、シミュレーショントレーニングは必須です。少し古い話になりますが、日本企業の多くが巻き込まれた1996年の在ペルー日本大使館公邸占拠事件を振り返ってみましょう。
事件は、1996年12月17日の夜、ペルーの首都リマの日本大使館公邸で発生。天皇誕生日の祝賀レセプションで大使をはじめ、ペルー政府要人、日本企業駐在員など約600名が集った場所に、革命運動家(MRTA)が乱入して占拠。ペルー警察が強行突入したのは4月22日。人質は占拠直後から順次開放され、当初600人だった人質は、年明けには約100名、最後まで残った人質は、大使やペルー政府要人、日本の大手企業など約70名。
この時、日本企業の広報部の対応は2つに分かれました。人質となった駐在員の名前を公表した会社としなかった企業。公表した日商岩井は、4名が人質となり、そのうちの1人は最後まで開放されませんでした。当時の広報室報道チームリーダーの西川氏は次のように述べています。「危機管理を念頭に置きながらも、日本のマスコミに対し、人質の名前・年齢など必要最低限の情報は提供しました。しかし、日本で取材された当社に関する記事がペルーのメディアでも報道されていることを発見し大変驚きました。」「MRTA(大使館を占拠した革命運動家)は、日本人人質に関する情報を即座に入手できる状況にあったのです」。(「企業・団体の危機管理と広報」経済広報センター)一方、公表しなかった旭化成の広報部はさんざん記者達に追い回され、詰問され、非難を浴びました。この時の広報責任者であった山中塁氏は、「この時の目標はただ一つ。現地法人の社長の命を救うことだった。会社のブランド、懇意にしている記者との人間関係、全てを犠牲にしても救わなければならない人だった。そのためにはどんなにたたかれてもけなされても現地社長の顔と名前は報道機関に開示しない方針を立てた」。(2003年全国RM研究大会)結果はどうなったか。最初に解放された人質の集団に現地社長が含まれていたのです。
このことから何を教訓にすべきでしょうか。クライシス発生時には、「何を守るのか」を明確にした上で、マスコミ対応方針を決めなければならないということです。マスコミはいつでも「国民の知る権利」を楯にして情報開示を求めますが、彼らのミッションは、公権力の監視のための「知る権利」であることを認識すべきです。家族以外の一般人やマスコミも人質について知りたいでしょうが、知ったところで何ができるでしょうか。この場合、人質の情報を一番欲しがったのは誰なのか。大使館を占拠した革命運動家達です。彼らは人質として価値ある人を最後まで残したいからです。
クライシス・コミュニケーションを情報開示として捉えてしまうと、時にはとんでもない落とし穴に落ちることがあります。その結果、人命を危険に晒してしまうこともあります。国を超えた場所でのクライシスの場合、日本国内だけでなく、現地でどのように報道されるのか、その報道がどのような人達に影響を与えるのかを念頭に入れた情報戦略が必要なのです。

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